教室まで戻った俺たちは、一通り日直の仕事を終え、視線を少し交わらせた後でゆっくりと帰り支度を始めた。
うつむき加減の小夜中に窓から差し込んだ光が当たる。
窓の風に教室内の埃が舞い、光を乱反射させている。
彼女と一緒の、小学校での授業が終わった。
「小夜中、……今日、学校に来るのは最後だよな」
「そ、そうだよ、学校に来るのは」
小夜中との会話が名残惜しくなり声を掛けると、小夜中は背中越しに教科書をランドセルにしまいながら返事を返してきた。
「そうか……」
次の会話が思い浮かばない自分の頭に、いたたまれない気持ちになる。
二人の間を埋めるように、外でせわしなくセミが鳴いている。
遠くの景色は熱気で少し歪んでいる。
机の影は午前中より伸び始めていた。
「福太郎君」
小夜中にかける言葉がうまく浮かばず、もどかしい思いが心に渦巻いていた為か、彼女がこちらを振り返っていることに気付かなかった。
「あの、これ……昨日家で作ったの……」
そういう小夜中の手には小さな押花の栞が握られていた。
「……俺に?」
小夜中は珍しく俺の目をしっかりと見て頷いた——突然の事に思わず面を食いつつも、その栞を受け取った。
「あの、ありがとう」
小夜中は俺の返事を聞くと顔を紅潮させながらランドセルを背負うと小走りで教室を出ていった。
「藤の花……綺麗だな」
一人になった教室で思わず言葉をこぼした。
*
小夜中からもらった栞をランドセルに入れた後、自身の席からを立ち上がって、教室の後方扉にまで歩いて行く——と目の前で扉が急に開いた。
「うわっ!」
「おっと、すまん」
俺の目の前に両手を軽く上げた先生が立っている。
「今ちょうど小夜中とすれ違ったが……もう帰ったのか?」
「はい、今さっき」
先生は俺の頭越しに教室を見渡した後、ゆっくりと確認するような口調で声を掛けてきた。
「……福太郎」
「……?」
「小夜中と仲良くしてくれてありがとうな」
「……別にそんなことは」
突然感謝の言葉を掛けられたのは予想外だった。恥ずかしくも嬉しくもあり、思わず否定の言葉を返してしまう。
「福太郎には話しておこうか」
少し考えこんだ様子だったが、俺の顔を改めてみると、何か思い至った表情を浮かべ小夜中について話し始めた。
まだ学校に残っている生徒たちに下校を促す為、受け持つ学年の教室を見回っていたら俺たちのクラスの扉が開き、教室から小夜中が走って出てきたのを見たらしい。
小夜中は俯きながら小走りに駆けて行き、先生にも気付かず横切っていった——その際に先生がみた小夜中の表情は、印象的残るものだったらしい。
「あんなに嬉しそうな小夜中は見たことがなかったよ」
「……先生、ちょっと気になっていたことがあって」
この機会に小夜中について不思議に思っていたことを聞いてみたく、先生に問いかけた。
*
「そうなんだ、知らなかった……」
先生の言葉を聞いて初めて知った——理解できた——不思議な気持ちになった——なんだろう、胸が熱い。
小夜中は親の仕事による都合で転校を繰り返してきた。その為、同世代の子たちとの関わり合い方が分からないと言っていたようだ。この地の子供とも仲良くしたいとも言っていたらしい。
小夜中が朝に早く登校したり、夕方には少し遅くまで残っていた理由。
小夜中は皆が気付かずにいた、教室内の片づけや花の水遣り等、自ら進んで行っていたようだ。
人付き合いが苦手という自覚のあった小夜中は、どうしたらクラスの一員になれるか考えていたらしい。
小夜中が出した結論は「綺麗な教室で皆が気分よく過ごすこと」小夜中らしい答えだった。
*
夏休み最初の登校日。担任の先生から夏休みの宿題や、日常生活での注意事項など簡単な説明を聞いていると、あっという間に帰りの時間となった。
空いた机越しに窓の外を眺める俺の横顔をクラスメートが怪訝そうに覗き込んでくる。別に校庭を見ているわけではない。思い返していただけだ。
我に返った際、教室内のクラスメートは既にまばらだった。紐が出ている本をランドセルにしまう。背負って振り返ると、教室後ろの飾られている花がつややかに光っていた。
「いずれ会えるさ」
その花に向かって一声かけた後、扉を開けて教室を出た。今日は猛暑日だったが、何故か気持ちは清々しいものだった。
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