「……さてと」
体育館裏の自転車置き場に戻り、とりあえず同学年の痛々しい視線から逃れることができ、ひと安心する。
「まずは手を放してくれない?」
ツツキが顔を背けたまま声を掛けてきて、無意識のうちに掴んでいた手を慌てて離した。
手を離すとこちらに振り返り、じっとこちらを見てくる。ツツキと名乗る女子の視線を紛らわすように、とりあえず複数ある疑問の一つを問いかけてみた。
「俺に会いに来たってどういう意味なんだ?」
「それに……ツツキだったか、どうして俺のことを知っているんだ?」
矢継ぎ早に質問を投げかける俺に対して、「ふふ」と何やら怪しげな笑みを浮かべると、右手を空に向かってあげると人差し指をつき上げた。
「私はあそこから来たの」
そういう彼女の指さす先、先程も見た青く晴れた空を眺めた。うっすらと月が白く見える以外何もない。
「どういうことだ?」
「ここでいう月、だったかしら。私はそこから来たの。どう、思い出した?」
驚いたぞ、その言動に——ん? 思い出した? 一瞬「何か」引っかかった気がした。
呆気にとられた俺の表情を、何やら不服そうな表情を浮かべたまま、気持ちを切り替えたのか、言葉を続けてきた。
「私はここで今までにない、面白い体験をしに来たの。そしてあなたにはそれを見つける力があるのよ」
ぐっと俺の顔を覗き込むように瞳を近づけてきたツツキ。その奇天烈な言動も相まって俺は思わずのけ反る。
「何をいっているか、よく分からないんだが」
「まあいいわ、いずれあなたにもわかることだから」
俺は呆気にとられていたが、ツツキは満ち足りた表情を浮かべている。
「今日は顔を見たかっただけだから、これから同じクラスよね。よろしく頼むわよ」
そう言って背中を向けると先ほど来た道を走っていった。
「……そういえば名前があったな」
先程自身のクラス名簿を見ていた時、見慣れない特徴的な名前が記載されているのを思い出した。
そして走り去っていく彼女のうしろ姿を、頭の上でリボンがひょこひょこ動くのを見ながら俺は呟いていた。
「あいつもクラスメイトになるのか」
彼女のうしろ姿を見ながら、ふと脳裏に何かが浮かんだ気がした。なんだろう、頭のどこかでは、はっきりと記憶している感覚があるのだが。
いざそれを引き出そうとすると、靄がかかったようにつかみどころを見つけられない。
「深く考えても仕方がないか」
これから新しい学校生活が始まるんだ。細かいことで悩んでいてもしょうがない。今はそう言い聞かせておこう。
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